2005年09月25日
CURTIS FULLER : BLUES-ETTE+3
- miyabi
- 18:24
- コメント (6)
- カテゴリー:03、モノ・mono・もの

このブログ初、JAZZのCDでございます。
普段はDAVE様をはじめとしてRockの世界に浸っているのですが。
私の音楽の原点はおそらくJAZZなんです。
私の親父は「オレの前世はフランス人」と言いながら、なぜかJAZZ好き。
いや、彼は駿河台の記念館校舎前で石畳のブロックを抜いて機動隊に投げたこともあったおちゃめな(?)学生時代から、JAZZ好きな仏文科学生だったらしい。
(ちなみに私が同じ大学に通う頃には石畳は全てアスファルトで埋められていた。趣あるキャンパスをぶち壊した最初の犯人は親父かと、ちょっとだけ恨んだ)
親父は夜討ち朝駆けな仕事をしていたので、普段はほとんど顔をあわせる事はなかったけれど、ようやく休める週末には昼ごろからステレオでJAZZのレコードをかけ、親父が手ずからコーヒーを入れて、家族一緒に過ごすのが我が家の休日の姿でした。
その中でも、親父が狂ったように嵌って聞いていた一枚のレコードがあったのです。
数あるJAZZレコードコレクションの中から、他はいろいろ聞きながら、これだけはほぼ毎回聞いていたという一枚。
そりゃもう、「もーこればっかり、しつこい」というくらい聞いていたなぁ。
でも、その頃はまだ笑顔で「パパ、このレコードが大好きなんだね」とは言えていたのだけれど。
私が10代になったころ。
平日の夕方から夜にかけて、無言電話が頻繁にかかるようになりました。
時折名乗らないヒステリックなおばさんから電話がかかってきて、いきなり「あんたの父親はうちの娘をたぶらかした!!」と怒られました。
日曜日に親父が私達幼い姉妹だけを連れて出かけて、出先で知らない綺麗なお姉さんと一緒にさせられたこともありました。
そして、ついには親父が週末家に帰ってこなくなりました。帰ってくるのは日曜日の夕方。
さすがにその頃には私も「あーこれは・・・」と気がついて。
だんだん家族は親父を無視するようになったのでした。
そして、親父は気まずい空気を誤魔化すかのように、たまに在宅した週末にはステレオを大音量にして掛け始めたのがこれまた同じ1枚。
そんな週末は、私が高校2年のころまで続きました。
おかげで、私は、幼少の頃から聞いていて、大好きだったそのアルバムが、その曲が、大嫌いになったのです。
家族がバラバラになった象徴のようなレコード。
音楽に罪はないのは分かっていたけれど。
私が高校2年の冬のある日。
単身者の引越しのような荷物が我が家に届いて、無言電話もヒステリックなおばさんからの電話もなくなったのです。
それからは親父が週末にはちゃんと帰ってくるようになりました。
また私が幼かった頃のように、週末には昼ごろからJAZZをかけて、コーヒーの香りが立ち込める休日が戻ってきました。
けれど、その頃には私をはじめとして娘達はみな自分の世界を持つようになり、週末家族一緒に過ごすこともそうそうなくなっていて。
失った時間はもう戻らないことを、親父も家族も噛み締めながら、こわごわと家族が付き合うような時期がしばらく続いたのです。
家族がまた向き合ったのは、それから4年後のこと。
親父があることで他人から傷つけられるのを目の当たりにし、ブチ切れた私が親父を守るために親父を傷つけていたヤツをぶちのめしたのがきっかけで、バラバラだった家族がようやくまた一つになった。
けれど、私はすぐには親父と一緒に週末にJAZZを聞く気にはなれなかったなぁ。
当時は Rainbow や VanHalen を知って、すっかりRockにのめり込んでいた時期だし。
JAZZを聞くと不安な気持ちになるのを否めなかったのも大きい。
きっと心のどこかで、親父を本当には許していなかったんだと思うのよね。
耳のはしっこでJAZZが聞こえてきても、ちゃんとじっくり聞きたいとは思わなかったもの。
それが。
何の因果か(笑)うちの旦那様が今年から突然JAZZに嵌った。
正直、ちょっとだけ身構えた。
ところが、いざ聞いてみると。
不思議なことに、数々のJAZZの曲が聞こえてきても、ちっとも不安な気持ちにならなかった。
旦那が新しくJAZZのCDを買うにつれて、親父のコレクションにあった曲がいくつも聞こえてきたけれど、「あーなつかしいなぁ」と思うだけで切ない気持ちにはならなかった。
すると、あの因縁の、もとい、思い出の「あの曲」がどうしでも聞きたくなったのです。
アーティスト名も曲名も覚えていない。
覚えているのはメロディのフレーズだけ。
そんなんじゃ膨大なJAZZの世界からは探せない。
意を決して(?)親父に「この曲の入ってるCDを探してるんだけど、誰の何ていうアルバムなの?」とフレーズを歌って聞かせたら、親父もど忘れしたらしく、フレーズは覚えているけど誰の何かを覚えていなかった。
だから、ちょっとだけ意地悪く言ってみた(笑)
「ほら、親父がよく朝帰りしていた頃、しつこく日曜の夕方にかけてたヤツだよ」
親父はちょっとだけ困った顔をして、けれど、必ず思い出すから時間をくれと言った。
数日後。
「例の曲が分かった」と親父からメールが来たのです。
さらに数週間後。
今日、実家に線香をあげに行ったついでに(?)CDを親父から貰いました。
1959年録音の、CURTIS FULLER の 「BLUES-ETTE」
このアルバムの冒頭に入ってる 「Five Spot After Dark」 が思い出の曲でした。
さっそく親父自慢のオーディオシステムでかけてもらいました。
20年ちょっとの時間が流れて、同じ部屋で同じ曲を聞いたけれど、同じようには聞こえないことに安堵しました。
トロンボーンの重厚な響きと、テナーサックスの切ない響き、そして、軽やかなピアノの音色。
初めて覚えたJAZZの曲が、軋みもなく心に響いてきました。
たかがCD一枚なんだけど。
ようやく自分の気持ちがすっきりした感じ。
言うなれば、便秘が治ったような感じかな(おい)
【入手場所】実家(親父から奪ってきた)
【入手価格】親父に買わせた・・・ことになる・・・かな。定価は2000円らしい。
miyabi様ぁの文章を読み 一枚のレコードを出してまいりました。
シューベルトの「冬の旅」1948フィッシャー=ディースカウのもの。
中高生時代 うちの家族も色々あり 私自身も色々ありで
一番辛い時に聞いていた分 その時の感情が吹き出しそうで
封印の1枚でした。
古い録音なので音が悪いのは兎も角 ディースカウの若くて素直な歌い方。
怖かったあの時の出来事は 時間のせいか セピア色に変色して
苦々しいけど甘酸っぱい記憶に変わっていました。
miyabi様 ありがとう。
日記中にお母様に関する記述がないので当時のお母様がどうだったのか想像するしかないのですが…
妻の立場となった私はお母様の気持ちを思うとせつなくなります。
そういう父の状態を、娘と言う立場で考えるのと、妻と言う立場で考えるのは微妙に違いますよね。
家の父は芸者遊びが好きで(笑)よく連れていたものです。
ある日、繁華街で母、兄、私の3人で歩いてたら、向こうからきれいなお姉さんを連れた父が。
母はすれ違いざまに、
「こんにちは。」と…
その一言にどれほどの思いが込められてたのか…
兄も私も、父にそっくりなあの人は???とパニック。
私はさすがに母に聞くことはなかったのですが、兄は鈍感にも
「あれお父さんじゃないの?」としつこく何度も聞いていました。
そのときの母の顔を今も忘れることはできません。
幸い(なんだろうか?)、父は一人の人にのめりこむこともなく、広く浅く、単なる芸者遊びの範囲で終ったので修羅場もなく…平和な日々を過ごしましたが。
母はきっと生涯許すことはないだろうなって思いますよ。
その辺男は遊びがばれて終った瞬間に全て終ったこととして片付けてしまいますけどね。
女にとっては、そこが地獄の始まりですよ。
音楽に慰めは求めなかったのですが、私は読書にのめりこみましたね。
せつない、哀しい思い出です。
> みぃ@ロシアちゃん
当時辛かった思い出に重なるものは全部排除したいくらいに思っていたのに、不思議だよね。
時間が過ぎたことで、血を拭いた傷がかさぶたになり、傷跡が肌の新陳代謝とともに薄れていくのと同じように、
辛くて見たくなかった思い出が見られるようになる。
それだけ自分がトシを重ねて人生経験を重ねたからなんだろうけれど。
みぃ@ロシアちゃんもまた一つ思い出を昇華できたのは、ちゃんと成長した証だよ、きっと。
> トモさん
どうして男は浮気するんだろうね。
うちの親父は壇一雄にもあこがれてて、まさに火宅の人一歩手前だったよ。
だって同時に愛人を3人抱えていたんだよ~!
私が対面させられたオンナは親父と同じ業界で仕事にも理解があったらしい。
彼女とは半同棲までしていたからたぶん愛人の中でも本命だったのでしょう。
でも化粧がけばくてちゃらちゃらしてて調子が良くて、極めつけは笑顔なのに眼が笑ってなかったのよ。
だから、帰り道に親父から「あの人をどう思う?」って聞かれて「怖い」とだけ言ったら、それっきり黙っちゃった。
母親はねぇ・・・別の意味で怖かった。
ある日、部活の朝練で私が朝4時ごろ起きたら、薄明かりの親父の書斎で手帳や財布の中身を調べてる母親を見ちゃってさ。
物凄い顔していたんだよね。
当時親父の母親(私からすると祖母)が認知症になってしまって自宅に引き取って面倒を見始めた頃だったから、いろんな意味でうちの母親は精神的に追い詰められていたんだと思うけど。
でも、あの母親の顔、私は一生忘れられない。
オンナの醜悪な感情そのものだと思った。
だから母親にそんな顔をさせる親父を余計憎んだし、全部面倒を母親に押し付けた親父の親戚連中にも頭にきた。
私が高校2年の冬、親父が愛人たちと別れたきっかけは、実は母親の自殺未遂なのよ。
眠剤飲んで手首切ったんだよね。
でも、すぐに親父が発見して助かった。
そのとき私は親父に「オンナたちと別れるのか家族を捨てるのかいいかげんはっきりしろ、私達姉妹の学費さえ出してくれるのなら私はどっちでもいい」と言った。
そして親父は1ヶ月後にオンナ関係を清算したらしい。
うちの母親が旧家の娘で、結婚どころか交際を反対された時点でなんと駆け落ちしちゃったほどなのに、なんで浮気だー愛人だー修羅場だーなんてなるんだと、不思議でしょうがなかった。
おまけに、その後20年過ぎて、うちの両親たらすっかり今では周りが砂吐きそうなくらいラブラブバカップルしてる。
たぶん、きっと私は一生二人のことを分からないんだろうな、と今では諦めてるよ。
ちなみに、私は旦那には「浮気した時点であんたを殺すからね」と結婚前に宣言してます。マジです。
ま、24時間ほぼ一緒に生活してるのに浮気する暇があるとは思えないし、そんなに器用な人でもないからね。
ちなみに未だ聞けない曲があります。
離婚当時聞きまくった曲「カルミナブラーナ」
でも 結構 テレビで流れるんだよなぁ…
その度に うつ…
まぁこの曲もいずれ聴ける日が来るんだろうなぁ。
まだまだ私も聴きたくない曲や見たくない本などあるぞ(笑)
でも、年を重ねてよかったな、と思うのは、古傷がいつしか薄れていくことではないかと。
10年後に笑える日が来るのなら、今泣く事は無駄ではないと思う。
泣いただけ、苦しんだだけ、人は成長する。
だから、きっとみぃ@ロシアちゃんは昔泣いたときよりは間違いなく成長していると思うよ。
それに、みぃ@ロシアちゃんは、私が知る中では、かな~りいい女だもん♪自信持って♪